2010-06

やっぱり中止

やっぱり、今日のワークショップは中止になりました。
理由はさておき、もし行こうと思っていた人がいましたら、
お気をつけください。

来年またリベンジさせてもらいます。

workshop

今日と明日ワークショップやってます。
お時間がある方はぜひ来てください。

Whenever Wherever Festival 2010
梅田宏明|ウメダ・ テクニック >>


ワークショップをやっても、あまり人が来てくれないので、
それがトラウマになっています。
沢山来なくてもいいのですが、少しは来てほしいなと思っていますよ。

ワールドカップ

サッカーのワールドカップが始まりました。
2002年のワールドカップのときから、
不思議なもので、この時期にはいつもフランスにいます。
今回はアパートにテレビがないので、
どうやって観戦しようかと思っていましたが、
なぜかイラクのサイトで、画質は悪いのですが、
全試合を放送しているので、問題なく観戦できています。
あとはカフェのテレビで観戦という手もあるのですが、
日本戦を放送しているか定かでないので、
やっぱりイラクサイト観戦が妥当な手段だと思われます。

ここ最近のネットのコメントを見ていると、
監督や選手批判がとても多いことが気になっています。
サッカー好きに特に多い傾向です。
4年前のブログでも書いたのですが、
僕はこの批判に対してとても批判的な立場をとっています。
なぜこうなるのか気になって仕方がないので、
僕なりにこのファン心理を理解しようと努めてきました。
なるべく簡潔に説明してみます。

まず日本代表は、日本人である自分の理想の投影像であるということ。
なので、自分の理想が実現されない場合に、
その原因をどこかに帰属させたくなります。
なので、そこで目立つ監督や中心選手に批判が集まり、
「オレの理想通りにならないのは、あいつのせいだ。」となります。
そしてこの日本代表より遠い人ほど、こういったデリカシーのない批判をします。
もし岡田監督や、選手達が、自分の家族や友人だったら、
そんなデリカシーのないことを言わないでしょう。
近い人ほど、それが他人だとわかるので、
自分の理想の投影などしないのです。

どんなものごとでも、素人が口を出すということは、
傲慢で恥ずかしいことです。
ここでいう素人とは、”日本代表に関わっていない全ての人々”です。
日本のサッカーの最高機関が選んだ監督と選手で、
日本人最強のチームが日本代表です。
“私”の国の代表と言うのであれば、
いい結果も悪い結果も、”私”の結果として受け入れなければなりません。

もし今日、日本が勝ったら
きっととてもうれしいでしょうし、
負けたら、悔しくて落ち込むでしょう。
それが私というものだと思います。
とは言ったものの、僕自身そんなに感情的になるとは思えませんので、
僕にとって日本代表は、それほど私ではないのだと思いますが、
それが私だと言いたくなるような、結果であってほしいです。
それでも僕はそれを私だとは言いたくないですけど。

ガンバレ、ニッポン。

Whenever Wherever Festival 2010

  • 2010-06-09 (Wed)
  • News

ご縁玉、再び

パリ日本文化会館で「ご縁玉」の上映があったので、行ってきました。
前にこのブログでも書きましたが、
末期がんであった山田泉さんという方と、
エリックマリアというチェリストの出会いを
ドキュメンタリーで追った作品です。
前に日本で見ていたのですが、今回は日本語字幕がなかったために、
僕自身は、あまり理解できなかったのですが、
会場は満員で、多くのお客さんが喜んでいたようです。

映画の中で、エリックマリアがホスピスでコンサートをするシーンがあるのですが、
上映会のあと、何人かの人に
「あなたもホスピスで踊らないの?」と聞かれました。
答えは”Non”です。
理由は、僕はエリックマリアほど強い覚悟がないからです。

映画の中で、山田さんやホスピスの人々に演奏する
エリックマリアの姿が描かれています。
そこには彼の強い覚悟が、映っているように感じました。
それは、死を感じている人と向かい合う覚悟です。

山田さんにしても、ホスピスの人々にしても、
近くに自分の死があるということを意識して、生をカウントしている人々です。
そういった人たちに、中途半端な善意で
向かい合えるものではないと僕は思うのです。
「かわいそうだから」なんていう傲慢な善意で向かい合うことは、
とてもじゃないけど、あり得ません。

演奏がうまいとかそんなレベルの話ではなく、
生の時間をカウントしている人々の貴重な時間の一部に、
自分が関わるということは、誰もができるものではありません。
現実的に、相手がそれを喜ぶかわかりませんし、
もしかすると迷惑になるかもしれません。
「それでも自分はすばらしい時間を彼らに提供したいんだ」
という強い覚悟がないとできないのです。

エリックマリアがどういう生い立ちで、どういう経験があったのか、
僕は詳しく知りません。
ただこの映画から、彼にはそういった行動をとる強い動機があり、
強い覚悟をもっている人であることがよくわかります。
そしてそういった行動が多くの人を動かすのだと
この映画と彼の姿から、教えられました。




テストステロン

信用や信頼という言葉について考えることが良くある。
基本的に人間関係において、最も重要なことだと思うからである。

「あの人は信用・信頼できる」という言葉を使う際に、

・あの人の言動と行動は一致している
・あの人は自分の考えを良く理解してくれている
・あの人の考え方は自分ととても同じか、近いもの

という3点が基準になるのではないかと思う。

上記の条件から、僕は100%信用できる人はいないと思っている。
それは悲観的な意味ではなく、100%自分と同じ考えの人なんていないわけで、
当然のことだからである。
そうすると僕はカテゴリと信用度という言葉を自分では使っている。
どのカテゴリでどれくらいの信用度があるか、
それがポイントなのである。
そして他の人の多くが信用できる人でも、
僕が信用するかどうかは当然、別のことである。
人間不信ではないかと指摘されることがあるが、
僕の基準ではこうなるので、この考え方が人間不信だとしたら、
そうなのかもしれない。

ということをネチネチと考えていたのですが、
そんな面倒な考えを一掃するような記事が出ていました。
テストステロンが多いと人間不信気味になるという記事です。

男性ホルモンは人間不信を強化:研究結果 >>

記事を読んでもらえばわかりますが、
テストステロンは男性ホルモンです。
そしてオキシトシンという女性ホルモンが多いと、
人を信頼しやすくなるそうです。
男性的であればあるほど、人間不信になると言える可能性があるのです。
困りました。
ちなみにテストステロンは、筋力を増強すると同時に、
免疫力を抑制するそうです。
男性っていいのか、と性別の存在自体が疑問になりますが、
仕方がないです。

昨日、あるフランス人の人と話をしていたら、
こんなことを言っていました。
「もう数ヶ月したら、私は20年住んだパリを離れるわ。
どこの大きな都市もそうだと思うけど、人が攻撃的だし、
ここにいると人間不信になるから、もっと小さな町で暮らすわ」

パリの人たちも、僕にも、
テストステロンが多すぎるか、
オキシトシンが足りないか、
何かホルモンに問題があるかもしれません。
さあ、テストステロン、どうしようか。


Kazuo Ohno

舞踏家の大野一雄さん死去=国際的に活躍、「わたしのお母さん」など
http://www.jiji.com/jc/c?g=obt_30&k=2010060200030


Kazuo Ohno, a Founder of Japanese Butoh, Dies at 103
http://www.nytimes.com/2010/06/02/arts/dance/02ohno.html

寒いパリ

日本に一ヶ月、いくつか地方に行ったりしながら過ごしました。
昨日パリに到着したのですが、東京よりも気温が低く、
この季節のヨーロッパにしては、とても寒いです。
暑いと「温暖化だ」と騒がれますが、
寒くても「異常気象だ」と騒がれるので、
いったい普通の状態がなんだかわからなくなることってないですか?

今日から公演のため別の町に行って、一晩だけ公演して、
一週間ほどパリで時間を過ごしてから日本に戻ります。
それからは美術館でのパフォーマンスや、ワークショップ、
あいちトリエンナーレなど、日本でタイトなスケジュールです。

今年は日本での活動が多いため、日本にいる時間が長くなります。
それに合わせて、自分のスタジオ兼事務所を持とうと、
ただいま物件を物色中です。
今はwebでしか見ていないのですが、
こういうのって何かコツとかあるんですかね?
こういった事情に詳しい人がいたら、ぜひ連絡ください。
関係ないのですが、wordpressに詳しい人も探し中です。

寒い気温が続かないのを願いながら、公演してきます。

Home > Archives > 2010-06